学生時代は、感想文や読書感想文みたいな作文が大嫌いだった。でも今は、観たアニメの感想をまとめたりする。たぶん、その方が心に響いて、本当に感じたことを書けるからだろう。
『ぼっち・ざ・ろっく!』を観終わって、ふと過去を振り返ると、昔の自分の影が見えた。『けいおん!』のようなのんびり明るい日常でもなく、『ラブライブ!』のような努力と根性の物語でもない。もっとリアルな現実がそこにはあって、過去の、そして現在の自分を見ているようだった 
ここぞという時に「逃げる」
身体的に逃げることもある。隅っこに隠れて静かに「キノコ」になるみたいに。精神的に逃げることもある。視線は彷徨い、どこへ向かうでもなく。ちょっとした嘘をついて、その場から逃げ出すこともある。
その気持ちはよくわかる。友達との集まりで、何度口実を見つけて途中退席したことか。人生における人間関係でさえ、途中で投げ出してしまったこともある。 .jpg)
🧍♀ 友達は少ない、でも欲しくないわけじゃない
学校にはほとんど友達がおらず、クラスメイトの会話にはいつも入れない。あるいは、沈黙することで自分を守っていた。友達が欲しくないわけじゃない。ただ、どう会話に入ればいいのかわからないだけ。みんなが盛り上がっている中、自分だけ電波の届かないスマホみたいに、たまにポツリと一言二言発しては、すぐに黙り込んでしまう。
彼女は自分をゴミ袋や隅っこに隠れる小さな虫けらに例える。その大げさな描写は面白いけど、私の心には深く突き刺さる。それは「自分は必要とされていない」という錯覚で、無意識にステージの隅っこへと退いてしまう。個人や団体の活動には一切参加せず、集団で得られる達成感も好まない。休み時間でさえ、一人で席に座ってぼーっとしたり、本を読んだりしていた。いつしか、周りからは「一人でいるのが好きな子」だと思われていたのかもしれない。 
🎶 自分だけの言葉を見つける
話すのは苦手だけど、彼女にはギターがあり、私にはインターネットがある。知らない人や大勢の前では、長いこと突っ立って一言も発せなかったり、自分にしか聞こえないような声で話したり、もごもごしてまともな文章にならなかったりする。
でも、私も自分なりの「言葉」を見つけた。文章を書くこと、絵を描くこと、コードを書くこと。これらは対面でのコミュニケーションを必要としない方法で、かえって心地よく、他の人に本当の自分の内面を見せることができる。今、私はプログラマーとして働いていて、コミュニケーションもテキストでのやり取りを好む。
🌱 逃げるだけじゃなく、一歩踏み出したい
ぼっちちゃんがコミュ障から少しずつバンドに溶け込んでいくのを見て、気づいた。逃げることは悪いことじゃない。でも、ずっと隅っこにいたら、その先の景色は永遠に見えない。いきなりステージのセンターに立つボーカルにはなれないかもしれないけど、小さな一歩を踏み出すことはできる。自分から「おはよう」と言ってみる、イベントに一度参加してみる、あるいはこの文章のように自分の気持ちを書き留めてみる。私も少しずつ変わろうとしている。 
家での時間
一番慣れているはずの家でさえ、私の態度は普段とあまり変わらない。何時間も部屋の隅でじっと座って、練習したり、ぼーっとしたり。誰とも顔を合わせる必要はない。
部屋に閉じこもって、一日中ほとんど言葉を発しない。このままじゃ、本当に話す能力が退化してしまうんじゃないか、と思うこともある。
💡 完璧じゃなくていい
違うのは、私には自分の世界から引っ張り出してくれるような友達が見つからなかったことだ——
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太陽のように明るいドラマーの虹夏ちゃんが、ぐいっと私をグループに引き入れてくれることもなく
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クールなベーシストの涼ちゃんが、時折見せる優しさで私を認めてくれることもなく
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明るく社交的なボーカルの喜多ちゃんと、一緒に素敵な学園生活を送ることもなかった

カッコイイ
幸い、私はもうギターを持っている。でなければ、『ぼっち・ざ・ろっく!』を観た後、また一本買いたくなってしまっただろう。下の写真のお店は、『けいおん!』で唯ちゃんがギターを買ったお店でもあるらしい。
それにしても、制作陣は本当に面白い演出をする。シュールすぎる。